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国周 / 新富座新狂言 名人長治 押上堤殺之場

SKU: C18197
タグ: 夜景  
価格 ¥24,000
作品
年代: 明治28年
サイズ : 大判3枚続
刷 : 優良
保存 : 優良
詳細 : -

ディレクターコメント
国周は周信及び豊国三代の門人で、小島烏水によって「明治の写楽」と称せられる。3枚続に役者一人を描くという新しい構成は国周が創始したとされる。明治期における役者絵浮世絵師の代表的存在であり、作品数も多く、明治演劇史の資料としても大変価値がある。
国周は自らも認めているほどの変わった性格をしていたという。住いと妻を変えることが癖で、本人によると転居は117回であり、同じく転居の多かった北斎と比べ「絵は北斎には及ばないが、転居数では勝っている」と誇っていたという。妻も40人余り変え、長続きすることは無かった。酒と遊びが大好きで、画料が入っても宵越しの金は持たないとばかりにすぐ使ってしまい、晩年は着物一枚で過ごし舞台に出る役者をスケッチする「中見」の際には版元から着物を貸してもらうほどだったという。しかし困っている人を見ると助けずにはいられず、時には来客のものまで与えてしまうという非常識ぶりを発揮した。

長二は、指物師で名人といわれるほどの腕前。酒も博打も嫌いで、儲けた金は正直な貧乏人に分け与えるといういたって気の優しい人柄。弟弟子の兼松を連れて湯河原へ湯治に行った長二は、自分の背中にある傷が、実は、自分を捨てた親が竹藪に放り投げた時に出来たということを、宿の手伝いに来た婆さんから教えられ驚く。今まで親と思っていた人たちは、この湯河原で半死半生の赤ん坊だった長二を温泉につけて助けてくれた恩人であったのだ。その長二に実の親がからんで事件へと繋がっていく。


Information
Date : 1895
Size : O-ban / Triptych
Impression : Very good
Condition : Very good
Detail : -